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ロシアを襲うコロナ禍、毒殺未遂、SDGsの三重苦

エネルギーのよる収益で国民経済を浮上させてきたプーチン大統領にとって、再生可能エネルギーへの世界的転換は真綿で首を絞められるようなもの(写真:AP/アフロ)

(山中俊之:神戸情報大学院大学教授/国際教養作家)

 日本メディアでコロナ禍に関するニュースにばかり接していると、世界情勢の重要な動きを見落としてしまう。石油・天然ガスに依存するロシア経済の暗澹たる現状とプーチン政権の行方はその最たるものではないだろうか。

 ロシア関連のニュースというと、日本メディアでは北方領土問題ばかりでロシア政治や経済についてはほとんど報じられない。一方、世界のメディアでは、残念ではあるが北方領土はほとんど話題にならない。ロシアが日本に返還する可能性は極めて低いと捉えられているからだ。

 ロシア経済は、コロナ禍、反体制指導者ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件、環境問題への対応を重視するSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)の三重苦により大きな打撃を受けている。

 より良い世界を構築するためのSDGsにより経済が打撃を受けているというのは、奇妙な表現である。しかし、化石燃料に依存するロシア経済においては、SDGsは追い風にならない側面もあるためあえてこのような表現を使っている。

 この経済的な打撃は、プーチン政権にも大きな影を投げかけている。

ナワリヌイ毒殺疑惑がロシア経済に落とす影

 ロシアでは、7月の国民投票で憲法改正が圧倒的多数で可決された。プーチン大統領は、2036年まで大統領職にとどまることができる。しかし、そのような体制強化の裏で経済基盤は大きく浸食されている。プーチン大統領は、夜眠れない日々ではないかと推測したくなるほどだ。

 まず、ロシア経済は、コロナ禍によって大きく減速した。

 ロシアは、新型コロナウィルス感染症拡大により3月末から厳しい都市封鎖を実施した。ロシアの連邦統計局が8月に出した2020年4-6月のロシアの国内総生産(GDP)は、前年比8.5%減少となり、11年ぶりの最低水準になった。

 次に、反体制指導者ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件が、ロシア経済の生命線ともいえる天然ガス輸出のためのパイプライン敷設に暗い影を落としていることも懸念材料だ。

神経剤ノビチョクを盛られたロシアの野党指導者ナワリヌイ氏。プーチン大統領の関与が疑われている(写真:ロイター/アフロ)

 よく知られる通り、ロシア経済は石油・天然ガスの生産と輸出に過度に依存している。輸出の約6割、政府収入の4割弱が石油・天然ガス関連である。ロシアの石油及び天然ガスの生産量は、2019年においていずれも世界2位である(出典:BP資料)。

 ちなみに、1位はいずれも米国である。米国はシェールオイル、シェールガスの産出という「シェール革命」により一気にエネルギー大国にのし上がった。

 しかし、ロシアと米国とは随分と事情が違う。

 米国が、ITや金融、製造業など世界で競争力ある多様な産業を有しているのに対して、ロシアは石油・天然ガスを除き、国際競争力のある産業は少ない。ロシアは、多くの中東やアフリカの国々と同じく、エネルギー資源産出という一産業分野に過度に依存した一種の「モノカルチャー経済」なのである。

 この石油・天然ガス依存経済に、反体制指導者ナワリヌイ氏毒殺容疑が思わぬ影響を及ぼすことになった。

 単にプーチン政権の評判が落ちただけでない。天然ガス輸出拡大のための主要戦略の一つであるパイプライン敷設に黄信号がともったからだ。

ドイツが見直しを示唆したパイプライン建設

 ドイツのメルケル首相は9月2日、8月20日に起きたロシアの野党指導者ナワリヌイ氏の毒殺未遂容疑について、神経剤が使用されたことに言及して、ロシアに対して明確な説明を求めた。

 ナワリヌイ氏はドイツ・ベルリンに搬送されて治療を受けてきた。幸い、昏睡状態からは脱したようであるが、メルケル首相が、神経剤ノビチョクが使用されたと発表したことで事態が急転した。

 ノビチョクは、当時のソ連によって敵を攻撃するために開発された致死性が高い薬物である。人殺しのための毒物なのである。

 これをメルケル首相が記者会見という場で、首相自ら全世界に訴えた意義は大変に大きな意味を持つ。明確に名指しをしていないものの、プーチン大統領の毒殺関与が強く疑われる言い方である。

 そもそも、ドイツをはじめとしたEU諸国とロシアとの関係は、2014年のロシアのクリミア半島併合による経済制裁により悪化したままである。しかし、このような政治的な軋轢とは別にドイツとロシアとは天然ガスの新規パイプライン「ノルドストリーム2」の建設には合意をして建設が進められてきた。

 天然ガスの安定的供給を受けたいドイツと、天然ガス輸出による外貨獲得を実現したいロシアとの思惑が一致して建設中の超大型案件である。

 しかし、ドイツはナワリヌイ氏事件を受けて同建設の見直しを示唆している。同氏が搬送されたのが、パイプライン敷設において大きな影響があるドイツであったことがロシア経済にとって不幸であったといえるだろう。

 コロナ禍で大きな打撃を受けたロシア経済にとっては、「ノルドストリーム2」の完成とドイツへの天然ガス輸出増加は、何としても実現したい生命線ともいえる案件である。しかし、ナワリヌイ氏事件により、同建設の完成も危うくなってきたのだ。

再生可能エネルギーに舵を切った世界経済

 パイプライン敷設は何らかの形で政治的に妥協される可能性がある。しかし、この化石燃料である石油・天然ガスに依存した経済は構造的な問題を抱えている。

 その構造的な問題とは、三重苦の三番目に挙げた国連が定めた2030年に向けた目標であるSDGsの石油・天然ガスへの長期的な影響である。

 SDGsにおいては、エネルギーについて「再生可能エネルギーの割合を大幅に拡大させる。」(目標7.2)と定められている。いうまでもないが、化石燃料である石油・天然ガスは再生可能エネルギーではない。一度使ってしまっては、再生できないからだ。

「SDGsの目標にあるからといって、そのように政府や企業が動くとは限らない」という批判があるだろう。

 しかし、世界の投資家は、SDGsへの取り組みが遅れている企業からは資本退避(Divestment)をしている。石炭火力に依存する日本の電力会社からも資本退避する大手機関投資家(例:ノルウェー政府年金基金)もいる。結果として、株価が弱含みとなり、経営者への評価は下がる。SDGsの目標に合致しない事業は淘汰されてしまう可能性が高まっているのだ。

 投資家の圧力もあり、世界経済は再生可能エネルギーに大きく舵を切っている。そのため、かつては石油依存が顕著であった中東産油国も石油依存からの脱却路線を進めている。

 例えば、UAE(アラブ首長国連邦)は世界最大級の太陽光発電を稼働させている。砂漠が多い中東諸国は、石油大国であるだけでなく、実は雨の少ない太陽光がふんだんに使える太陽光大国である。

 私事であるが、筆者も長く中東に住み、アラビア半島など中東の砂漠各地を回った。太陽と砂漠以外に何もない場所が実に多い。当時は太陽光発電の可能性に気付くことはなかったが、今は太陽光発電の最適地であることがわかる。

SDGsがプーチン政権にトドメを刺す?

 企業研修の講師を本業の一つとする筆者は、SDGsに関連した事業戦略立案について、世界から集まった経営者・経営者候補とワークショップを開催させていたいただく機会が多い。その中には、石油・天然ガスなど化石燃料事業を本業とする参加者も多く、SDGs時代の石油・天然ガス事業の行方について議論する機会がある。

 石油・天然ガス産業においても、エネルギーにアクセスできない人へのアクセスの確保、エネルギー産出の効率化、温暖化ガス削減など、SDGsに関連する取り組みは数多くある。しかし、再生可能エネルギーでない石油・天然ガスは、SDGsの時代に旗色は悪い。目標に、大幅に削減することが明言されているからだ。

 そのためワークショップの参加者からも、「事業形態事態を大きく変更するならば別だが、石油・天然ガス産出を前提とする限り、SDGsに本格的に対応することは難しいのではないか」との声が寄せられる。石油・天然ガス事業を、中長期的に維持拡大していくこと自体が困難になってきているのだ。

 ロシアも国連加盟国であるので、当然ながらSDGsを推進しており再生可能エネルギーの促進にも言及してきている。しかし、2020年のロシア政府のSDGsに関するレポートにおいて、SDGsの推進へのコミットは示されているが、エネルギー分野における進展については明確な形で言及されていない(参考資料)。

 再生可能エネルギーに舵を切ることと、そのことで経済の根幹を毀損するジレンマに陥っているとも解釈できる。

 エネルギーのよる収益で国民経済を浮上させてきたプーチン大統領にとって、再生可能エネルギーへの世界的転換は真綿で首を絞められるようなものではないか。
 
 いつになるかはわからない。しかし、プーチン後を見据えた動きもフォローしていくべきであろう。プーチン政権の終焉は意外と早いかもしれない。

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